
ラクロスとは?
歴史と現在の姿
スティックの先についた網「クロス」でボールを操り、激しく、そして華麗にゴールを奪い合う。 ラクロスは、そのスピード感とダイナミックなプレーで、見る人を魅了するチームスポーツです。このページでは、ラクロスの持つ豊かな歴史と、日本における現在の姿をご紹介します。
ラクロスの起源
~北米先住民の儀式から、世界的な近代スポーツへの軌跡~
北米最古のスポーツ「ラクロス」
ラクロスは17世紀初頭の記録が残る北米最古のチームスポーツであり、先住民族の間で、単なる娯楽としてではなく、戦士の鍛錬や宗教的儀式を兼ねた数日間にわたる一大行事として行われていました。
当時の試合規模は現代とは比較にならないほど壮大でした。木や自然の地形を利用したゴールは500ヤード(約460m)から数マイルも離れて設置され、境界線のない広大なフィールドで、100人から一説には10万人ものプレイヤーが入り乱れて競い合ったと言われています。
ルールは「ボールを手で触らない」というシンプルなもので、空中に投げ上げられたボールを奪い合うことで試合が始まりました。道具も時代とともに洗練され、当初の木製ボールは毛皮を詰めた鹿革製に、スティックの網は鹿の腱で編まれるなど、改良が重ねられました。

「ラクロス」の誕生と近代スポーツへの道
この競技が「ラクロス」と名付けられたのは1630年代のことです。カナダで活動していたフランス人イエズス会宣教師ジャン・ド・ブレブフが、先住民が使うスティックの形が司教の持つ杖(la crosse)に似ていることから、その名を記録しました。近代スポーツとしてのラクロスは、19世紀のカナダで大きな発展を遂げます。1856年に「モントリオール・ラクロス・クラブ」が設立され、歯科医のウィリアム・ジョージ・ビアーズ博士が、プレイヤー数の削減、ゴム製ボールの導入、スティックのデザイン変更といった近代的なルールを策定しました。これにより競技性が高まったラクロスは、1860年までにカナダの「夏の国技」となり、1904年と1908年にはオリンピックの正式競技として採用されるほど国際的な広がりを見せ始めました。

海を渡った女子ラクロス
一方、女子ラクロスは1884年にカナダで試合を観戦したスコットランドの校長が、その「美しく優雅な」様子に感銘を受けたことから、自校であるセント・レナーズ・スクールで導入したのが始まりです。1890年には同校で記録に残る最初の試合が行われ、卒業生たちによってイングランドの学校へと伝えられていきました。その後、アメリカへ渡った卒業生ロザベル・シンクレアが1926年に高校チームを設立したことをきっかけに、アメリカ全土へ人気が拡大。各国で協会が設立され、国際的なスポーツとして発展していきました。


※World Lacrosse HPより一部引用
伝統から世界的なスポーツへ
このように、ラクロスは先住民族の文化的な儀式から生まれ、カナダで近代化され、男女それぞれが異なる歩みを遂げながら、世界中の人々に愛されるスポーツへと進化を遂げました。
現在、ラクロスは世界の多くの国で親しまれており、その国際的な発展を支えているのがWorld Lacrosse(ワールドラクロス)です。女子競技は1972年にIFWLA(国際女子ラクロス協会)が、男子競技は1974年にILF(国際ラクロス連盟)が設立され、それぞれ世界普及と世界選手権の開催を主導してきました。2008年、これら男女の競技団体がFIL(国際ラクロス連盟)として統合。2018年11月には東京でのIOC理事会でIOC承認団体に暫定承認され、2019年5月にWorld Lacrosseへと名称を変更、2021年にはIOC正式承認を獲得しました。コロラドに本部を置くWorld Lacrosseは、ラクロスのオリンピック競技化に向けた取り組みをはじめ、世界各地でのラクロス普及活動を展開しています。

World Lacrosse加盟国の推移
1972年のIFWLA設立時のわずか5カ国から、2025年現在95カ国・地域へと大きく拡大。ラクロスは五大陸で楽しまれるグローバルスポーツへと成長を遂げています。

日本におけるラクロスの歩み
学生の情熱から始まった日本ラクロス
日本でラクロスのチームが誕生したのは1986年。慶應義塾大学の学生たちが中心となり、アメリカ大使館の協力を得ながらスティックや映像資料を入手し、独学で競技を始めたことが出発点でした。翌1987年には「日本ラクロス協会(JLA)」が設立され、同年に第1回関東学生リーグが開催されます。当時の競技人口はわずか数百名ほどでしたが、学生たちの情熱が各大学へと広がり、全国的な広がりの基礎を築きました。1988年には日本学生ラクロス連盟が発足し、組織的な活動が本格化します。


全国展開と国際舞台への第一歩
1990年代に入ると、関西・東海・北海道など各地で学生連盟が設立され、大学ラクロスの輪が全国に拡大しました。1994年には登録会員数が1万人を突破し、社会人クラブチームも続々と誕生。全日本クラブ選手権や全日本選手権が整備され、学生と社会人が同じ舞台で競う環境が整いました。1997年には東京で女子世界選手権大会が開催され、日本ラクロスが初めて国際舞台の注目を集めます。この大会をきっかけに、国内での認知度が大きく高まりました。


競技基盤の確立と次世代育成
2000年代には、日本ラクロス協会の活動が飛躍的に拡大し、競技基盤の確立が進みました。指導者育成プログラムの体系化、審判制度の整備、各地域での普及活動の組織化など、単なる競技大会の運営にとどまらない包括的な取り組みが展開されました。
2012年には協会設立25周年を迎え、四半世紀にわたる活動の中で国内大会運営や国際派遣のノウハウが蓄積されました。国際大会での日本代表の活躍も目覚ましく、世界ラクロス界における日本の存在感は着実に高まっていきました。そして2018年、協会は一般社団法人化を果たします。より透明性の高いガバナンス体制、持続可能な財政基盤、公正な競技運営体制へと発展を遂げ、次の成長段階へと歩みを進めました。

公益化と国際競技への挑戦
2022年、日本ラクロス協会は公益社団法人として新たなスタートを切りました。全国では約320チーム、1万3千人を超える競技者が登録しており、男女日本代表チームは世界選手権やアジア選手権などで活躍を続けています。さらに、近年は6人制の新種目「SIXES」が導入され、2028年ロサンゼルスオリンピックでの正式採用も決定しました。草創期から続く「自らの手で競技を創り広める」という精神を受け継ぎ、日本ラクロスは次の世代へ向けて、新たな挑戦の時代を迎えています。

現在のJLA会員登録者数
1987年の協会設立と同時に会員登録制度を開始しました。翌年の第1回関東学生リーグ戦の際には会員数は約250人となりました。その後、関東及び京阪神の大学生を中心に、口コミで爆発的に広がりました。
また、ファッション誌や新聞などメディアで取り上げられ「おしゃれなスポーツ」として大学生の間で広まり、1994年には会員数1万人を超えました。
1997年の女子世界選手権大会の東京開催をきっかけに、国内での競技スポーツとしての地位も高まり、全国の大学数拡大も落ち着きました。この頃から、社会人クラブのチーム数・選手数が増加しました。
1998年より、加盟大学チームと学生連盟が協力し、勧誘ノウハウの蓄積・共有をするための「大学新入生勧誘プロジェクト」を開始し、大学間の垣根を越えて協力しあう文化が根付きました。
2023年現在、競技人口(協会登録)は男子競技約5,600人、女子約6,700人、合計約12,500人となり、近年は女子中高生や小学生(ジュニアラクロス)にも愛好者は増えています。
| 年 | 男性 | 女性 | 計 |
|---|---|---|---|
| 1986年 | 13 | 8 | 21 |
| 1987年 | 80 | 30 | 110 |
| 1988年 | 184 | 68 | 252 |
| 1989年 | 350 | 240 | 590 |
| 1990年 | 734 | 1,264 | 1,998 |
| 1991年 | 1,100 | 2,000 | 3,100 |
| 1992年 | 2,241 | 4,553 | 6,794 |
| 1993年 | 2,812 | 6,133 | 8,945 |
| 1994年 | 3,811 | 6,976 | 10,787 |
| 1995年 | 4,000 | 7,100 | 11,100 |
| 1996年 | 4,306 | 7,119 | 11,425 |
| 1997年 | 4,415 | 7,350 | 11,765 |
| 1998年 | 4,528 | 7,424 | 11,952 |
| 1999年 | 4,691 | 7,653 | 12,344 |
| 2000年 | 4,853 | 7,929 | 12,782 |
| 2001年 | 5,220 | 8,258 | 13,478 |
| 2002年 | 5,475 | 8,766 | 14,241 |
| 2003年 | 5,338 | 8,967 | 14,305 |
| 2004年 | 5,568 | 8,984 | 14,552 |
| 2005年 | 5,621 | 9,019 | 14,640 |
| 2006年 | 5,666 | 9,053 | 14,719 |
| 2007年 | 5,693 | 9,073 | 14,766 |
| 2008年 | 5,698 | 9,079 | 14,777 |
| 2009年 | 5,711 | 9,097 | 14,808 |
| 2010年 | 5,618 | 9,060 | 14,678 |
| 2011年 | 5,729 | 9,127 | 14,856 |
| 2012年 | 6,002 | 8,909 | 14,911 |
| 2013年 | 6,322 | 8,698 | 15,020 |
| 2014年 | 6,855 | 8,914 | 15,769 |
| 2015年 | 7,340 | 9,499 | 16,839 |
| 2016年 | 7,490 | 9,863 | 17,353 |
| 2017年 | 7,750 | 10,115 | 17,865 |
| 2018年 | 7,594 | 9,997 | 17,591 |
| 2019年 | 7,360 | 9,543 | 16,903 |
| 2020年 | 5,906 | 7,724 | 13,630 |
| 2021年 | 5,872 | 7,809 | 13,681 |
| 2022年 | 5,757 | 7,280 | 13,037 |
| 2023年 | 5,622 | 6,724 | 12,346 |
| 2024年 | 5,796 | 6,796 | 12,592 |

JLA加盟チーム数
1988年に関東で日本学生ラクロス連盟が発足し、関東の大学男女11チームが加盟しました。
1990年には日本学生ラクロス連盟西日本支部も発足し、男女16チームが加盟しました。同年、日本社会人ラクロス連盟(現・日本クラブチームラクロス連盟)も発足しました。
1991年には全国で男女約100チームが加盟し、以降、学生連盟は北海道、東北、東日本、東海、西日本、中四国、九州の全国7地区、クラブチーム連盟は北海道、東日本、東海、西日本、中四国、九州と6地区に広がり、現在は全国の約320チームがJLAに加盟しています。




