私のロンドンラクロス滞在記
      (love at first sight of my lacrossesplits)

渡辺貴志(日本大学OB)

第1回:「First Contact」

 1998年6月、仕事をするために日本を離れロンドンへと旅立った僕は、仕事を中心に生活するのだという決心にも似た感情をもちながら新しい生活に溶け込み始めていた。が、心のどこかでは学生時代に熱中していたラクロスを海外でプレーするというもう一つの魅力にも惹かれていたのであった。それは学生時代に経験したラクロスハワイ遠征での日本では味わえなかったなんとも言えない素晴らしい体験のrevive だったのかもしれなかった。しかし、渡英当初は仕事中心の生活に自分のリズムを合わせるのに苦労してしまい、ラクロスをするという希望には少しの躊躇感を感じていた。自分の中では常に、せっかく海外で生活しているのだから、仕事と英語だけではなく、それ以外のことで、あまり現地にいる日本人達がやらない事をしたいという信念から、仕事に慣れ始めた8月頃からロンドンラクロス留学計画の行 動でたのであった。

 まず始めにイギリスにラクロスというスポーツがあるのかどうか?というポイントから、そのポイントに関しては、日本にいた時からワールドカップにイングランドのナショナルチームが参加していたのは知っていたので、「必ずラクロスチームどこかにがあるはずだ」と、いう根拠ある自信から気持ちは余裕だったのを覚えている。が、いかんせんイングランドの国技は、フットボールとラグビー、(アッパークラスの人達にはクリケットが有名だが)。それを表すように、ストリートの子供達7割はプレミアリーグのどこかのチームのシャツを着た子ばかり。本当にこの国にはラクロスを知っている人がいるのか心配になったのであった。

 まずは、どれだけラクロスがロンドン人に知れているのかをチェックするために、 忙しい仕事の合間にウエストエンドにあるスポーツショップを隈なく回り、ラクロス用具のチェックを・・・、がしかし、行くショップのほとんどがフットボール用品のみ、若しくはラグビー、バスケット、そこで僕は仕方なくスタッフに声をかけ「すみません、ラクロス用品はおいてありますか?」と聞いてみると?「pardon?」、「ム ム!?」「ひょっとして僕の英語が通じないのか?、それともラクロス自体を知らないのか、いやそんなはずはない。」そこで僕はすかさずよそ行きの英語で再トライ 「すみません、ラ〜クロス用品はおいてありますか?」・・・「sorry?」・・・ 「フー」。 やっぱり解ってくれない。どうしたものか。「う〜む、、、、、」ふと気がつくと、 その時僕は学生時代から愛用していたロヨラunivercityのラクロスキャップをかぶっているではないか?。すかさずキャップのスペルを指差し「ラ〜クロス」と言うと、 スタッフは、「oh yes ラクロ〜スね」。そう、「ラクロ〜スです。」、、、なんとか解ってくれた。でも解ってくれたのは良いのだが、そこのショップにはラクロス用具は無く、改めてラクロスというスポーツのマイナー(自分的にはめちゃくちゃメジャーなのに)ぶりの感じるとともに、メジャーには無いスペシャルなスポーツを愛しているスペシャルな嗅覚を持った自分を発見し、益々ラクロスをこの地でやりたい、やってやると思わせたのであった。 その後も、現地ではどんなものでも揃うという評判の巨大ショッピングセンターをまわったり、大デパートもすべて回ったのだが。やはり、まったくラクロス用具を置いてあるところはなく、アイスホッケーや、クリケット専門ショップに行っても全くだめだったのである。そんな中でも、必ずどこかにはラクロスを知っている人がいるはずだという希望にも似た思いから、常に毎日ラクロスキャップと学生時代のラクロスジャンパーを身につけ、いつかラクロスプレイヤーがそれを見て僕に声を掛け てくれるかもしれないという自分の希望的推測から得た自信を胸に繁華街オックス フォードストリートを歩いていたのであった。 そして、それと平行して、ロンドン人にはかかせない情報誌「ルーツ」や、現地日本人向けの情報誌の無料掲載の欄に、毎週「ラクロスに関する事ならなんでもかまいません。おしえてください。takashi」といったメッセージを載せるという行動にもでたのであった。  

 その後、僕のモバイルにある女性からメッセージが入ったのは情報を掲載してすぐのことであった。「私は名古屋でラクロスしていたものです。ついこの間までロンドンの女子ラクロスクラブチームに所属してで毎週試合をしていました。少しは力になると思います。」と、いうものだ。僕はラクロスのどんな情報でも構わない、とにかく 糸口を見つけたいという思いからすぐにその女性に折り返し電話をし、返事をくれた事のお礼をのべ、彼女と興奮しながらラクロストークを繰り広げた。彼女は、当初、 僕のクラシファイドを見たときは女性だと思っていたらしいのだったが、同じ日本人のラクロサーということで協力してあげたいと思い電話してくれたのだという。 彼女はロンドンに留学する前からラクロスをやる事を決めていて、スーツケースと 一緒にクロスも持って来たというくらいのラクロサー。電話で彼女は、「女子ラクロスに関する事ならば協力できると思っていたのですが、男子に関する事は解らない。」ということで、「フー」。一時は僕のロンドンラクロスへの道も遠ざかったか のように思えたのだが,唯一次なる行動に結びつくであろう情報、「timeoutクラシファイド掲載」作戦に出る事に。これは、彼女がロンドンのラクロス情報を得たという情報誌「timeout」(東京workerのような感じ)のメンバー募集の欄をチェックし てみることに。 が、しかし、やはり載っていたのは女子ラクロスの情報のみ、、、「ウーン、まだ まだぁーあきらめてなるものかぁ」そこから何かをつかめるはずだ、、、。早速僕 は、唯一本に載っていたロンドン女子クラブラクロスのベッカナムビートルズのキャップテン「アン」のTEL番号を控え、彼女にメッセージをいれたのであった。すると、彼女から、僕の留守電にメッセージが、「あなたがラクロスをしたいのならばイギリスラクロスアソシエーションのTEL番号を教えます。なにか解らない事があれば 何でも言ってください、なんでも協力します。」と、「アン、なんて良い奴なんだぁーこれぞラクロスフレンドシップ」、そーかラクロスアソシエーション か、、、、、、、、、、、でも、その時思ったのだが、なぜ日本にいるときにそこに気づかなかったのかと・・・。それにも増してなぜ最初から日本に電話して誰かに聞かなかったのか、と・・・、。

 早速、僕はイギリスラクロスアソシエーションにTELした。彼らはとてもやさしく、そして誠実な対応を僕にしてくれ、なんと、彼らは僕の家にまで、ロンドンのラクロスに関するファイルを無料で送ってくれた。そのファイルには、サウスイングランドのラクロスチームの名簿とその年のリーグ戦の対戦表が。 当時、英語もまだまだ完璧に話せないアジアの最東端の国から来たわけのわからな い日本人に、たった一つの共通点、「ラクロスプレイヤー」と、いうだけで、なん で、こんなにも優しくしてくれるのかと、本当に感動したのであった。それと、何とか少しずつだけど、着実に目標に向かって進んでいる僕自信の計画が、パイオニア的な喜びを産み、それがうれしくて仕方なかったのであった。 早速そのファイルの中から、どのチームを選ぶべきか考えることに。色々ある中からどうやってチームを選ぼうか、なんというか、いままでただ単にラクロスがやりたかっただけなのに何故かチームを選ぶとなると不思議と慎重になってしまうという、なんとも言えない気持ちに、、、。でもこれは、アルバイトを選ぶようなもので結局自分の家から1番近い方がいいに決まっている、という持論から、僕の住んでいるエレファントアンドキャッスルからノーザンラインで一本のHillcroft(プレミアリーグ 所属)というチームを選ぶことに。

 その後、仕事の休憩時間にHillcroftのキャプテンのティムという男に電話をすることに。どんなチームなのか?平均年齢はいくつくらいなのか?あまりにもわからないことばかり、でもだからこそ行動しよう。いまでもはっきりとこの最初の電話の内容は覚えている。「ハイ、僕は日本で4年間大学でラクロスをしていたんだけれど、今度ラクロスの試合をみたいので次の試合はどこでやるのか教えてくれないか?」 まずは、彼に自分が日本でラクロスを4年間していたことを伝え、いきなりチームのメンバーに入れてくれなんていうのもなんだと考え、とりあえず軽く自己紹介、 ティムは少し解りやすい英語で話してくれ、こころよく僕を迎え入れ「もし、君が来週 末空いているならばグランドに試合を見にくれば」と、いうことに。彼は、すぐさま約束の場所を伝えてくれ、「来週の土曜日にグランドの最寄の駅の改札1時」と、いう事に。 待ち合わせの目印は、ティムがラクロススティック(クロスとは言わないらしい) を、僕はラクロスベースボールキャップにラクロスジャンパーを、ということになったのであった。 その時の感覚はなんと言うか、ついにここまでこぎつけたという達成感の気持ちで 最高で、、本当に道無き道(本当はもっと簡単に到達できたかもしれないけれど)を 自分で切り開いたという気持ちで「自分で自分を誉めてやりたい」と言う感じだった。 何というかヘリコプターで一気に頂上まで上ってしまうのもいいが、自分の足で汗をかきかき登りきったときのすがすがしい気持ちという表現である。

 ティムと会う約束をしてからと言うもの、その電話を切ってから次の土曜日までが、本当に楽しみで仕方が無かった。今までの苦労した気持ちが実を結んだと言うか、まるで今まで長年追いつづけた女性(ひと)に交際を申し込みOKしてもらったと言う感じで、しかも、こっちはドキドキしながら誘ったのに相手はこっちが思っていたほどのものではなく、すんなりと、簡単にことが進んで、今度二人きりで会う事に なってしまった、と言うような感じとでもいうのだろうか。

(つづく)

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1999.7.18 Copyright Reserved by Japan Lacrosse Association