第1回:「再び、世界の舞台へ」
〜U-19男子日本代表ヘッドコーチ 加藤武〜
Text:小城崇史、 Photo:小城崇史・島村隆一
U-19男子ラクロス世界選手権を一ヶ月半後に控えた5月15日、U-19男子日本代表チームは東京・大井埠頭公園第2球技場で第1回ラクロス・プレミアLeagueトーナメント決勝戦を闘っていた。
相手は昨年の男子日本代表メンバーを多数擁するクラブチーム、バレンティーア。 今年に入ってから練習試合で既に2回対戦し、いずれも大差で敗戦の憂き目に会 っている相手である。(*1)
『経験』と『若さ』の対決の軍配はやはり『経験』 が勝るのかと誰もが思っていた。
しかしこの日のU-19は違っていた。 キャプテンのAT黒澤仁晴を中心とした先発メンバーはフェイスオフと同時に凄まじいまでの気迫でフィールドを駆けめぐり、終始押し気味にゲームを支配していった。経験に勝るバレンティーアに何度も押し戻されながらもゴールへの執念を絶やさず、積極果敢に相手陣地に攻め込んでいった。 そして試合終了間際。MF岩本祐介の華麗なシュートで4-4のタイスコアに持ち込んだU-19はこの大事な一点を守りきり、第1回ラクロス・プレミアLeagueトーナメン トの優勝を勝ち取ったのだった。(*2)
「(プレイヤーとしての)キャリアがないのは当たり前。むしろそのことを逆に武器にしてほしい」と加藤武(U-19男子日本代表ヘッドコーチ)は言い続けてきた。 今回のU-19に集められたメンバーの大半は、高校時代を他のジャンルのスポーツプレイヤーとして過ごしてきた者ばかり。かつて日本代表を経験した加藤の目から見たらきっと「ここをああして、もっとこうして」と思うだろうに、なぜ?
「ウチ(U-19)のディフェンス、バスケットの経験者が多いんですよ。足の動きがラクロスに似ているじゃないですか。」「バドミントンって、宙に浮いた状態でシャトルを打ちますよね。(バドミントンを経験している人は)アレと同じことを ラクロスでもできるわけですよ。」彼の指導者としての仕事は、まずメンバーの個性を見極め、他のスポーツの特性をいかに取り入れるかから始まっていた。『速く、早いラクロス』(*3)をスローガンに掲げている日本の男子ラクロスだが、 現実にはスティックワークなどの技術的な問題も多く、ラクロッサーとしてのキャリアの浅いU-19には難しい要求ではないかと思われていた。98年10月にU-19 ヘッドコーチに就任した加藤がそこで採った手法は、プレイヤーに対して理想のチーム像を明示し、それに対してプレイヤー各々が自分で工夫するといった、いわば 「プレイヤーの自主性に任せた」育成であった。「選手には、自分の個性をゲームの中で出すにはどうしたらいいか、自分を活かすにはどうしたらいいかを考えながらプレーしろっていつも言っているんですよ。幸い集まったメンバーもチームの方針や目的についてよく理解してくれていて、自分たちから積極的にアイディアを出 してくるし、ひとつひとつのプレーについて後で話を聞いてもちゃんと裏付けを持 ってやっているんです。」と加藤は言う。他の体育会系スポーツでは考えられない指導方針だが、これは加藤自身が数多くのスポーツを経験し、ラクロスにたどり着いたという彼のキャリアがそうさせているのかもしれない。
サッカー、野球、そしてラグビーと、男なら一度は憧れるスポーツのプレイヤーとして活躍した(*4)加藤がラクロスと出会ったのは法政大学1年の時。そう、今の U-19メンバーとそう変わらない時期のことである。他のスポーツで頂点に近づきつつあった加藤だが、ここでラクロスという新たなフィールドに足を踏み入れた理由をこう語っている。「ラクロスは、(今までになかった)新しいスポーツなので自分のアイデアが生かせたり、思いきったことに取組めることに魅力を感じた」「コンタクトスポーツとしてはラグビーの経験が生き、かつ自分の器用さがスティックワーク等に生きている」「個人的には色々なスポーツをやってきたが(自分に一番合っているのが)ラクロスだった」・・・・・ 。
負けず嫌いで、常に前向きに物事に取り組む加藤の特性は、彼にとって4種目目のスポーツとなったラクロスでも遺憾なく発揮され、東口嘉仁、細田寛文(共に1994/1998年日本代表選手)らと共に法政大学男子ラクロス部の黄金時代を築いた。そしてその活躍が評価され、1994年の日本代表に選抜された彼はマンチェスターで行われた世界選手権に参加、そこで行われたシュートコンテストで個人優勝を勝ち取る。(*5)並みいる海外の強豪達を相手に全く引けを取らない彼の非凡なプレーは「日本に加藤あり」を強く印象づけたに違いない。
大学を卒業し、社会人となった彼がラクロッサーとして選んだ道は、プレイヤーではなく、コーチとして後進を指導することであった。世界の強豪と闘い、世界のラクロスのレベルを肌で知っている彼は、「世界の強豪を倒す」夢を後進に託したのだった。96年よりU-19、そして98年フル代表のアシスタントコーチを経験した彼のもとにU-19のヘッドコーチ就任の話が来たのは、98年の秋。普通の人間なら、その重責にしり込みをするところだが、そのときとっさに「面白そう」と思い、引き受けたというところが、いつも前向きで負けず嫌いな加藤らしい。98年11月 にスタートした新生U-19は、練習場にも事欠く劣悪な状況ながら(*6)、少しずつ、 そして着実にチームとしての礎を固めていった。
U-19のプロフィールを見ても分かるとおり、プレイヤーとしてのキャリアもさることながら、欧米のプレイヤーと比べて体格的に明らかに不利であることは否めない。しかし「それを逆手にとった作戦だって、アリでしょう」と加藤は明るく語る。逆境に強く、常にポジティブに生きてきたラクロッサー・加藤武は、23名のU-19戦士と共に7月2日、オーストラリア・アデレードで新たな闘いに挑むのだ。
(了)
<プロフィール> 加藤 武(かとう たけし) 昭和46年5月8日生 28歳
法政二高 > 法政大学 > 東京三菱銀行勤務ラクロス歴
法政大学男子ラクロス部
94年マンチェスター世界選手権日本代表MF
94年マンチェスター世界選手権シュートコンテスト個人優勝
96年東京世界選手権MFコーチ
98年ボルチモア世界選手権MFコーチ
99年アデレード世界選手権ヘッドコーチ
(*1)3月14日、17-5、5月1日、15-9でいずれも敗戦。しかし5月1日の対戦で得点差を縮めるのに成功したことに「(U-19が確実に成長している)手応えを感じた」(加藤談)
(*2)大会規定により、バレンティーアと共に同時優勝。
(*3)「速く」パス、シュート、走ることなどの技術的側面 、「早い」的確な判断などの戦術的側面の二つを訴求するスローガン。
(*4)中学時代に野球で全国大会ベスト8進出。法政二高ラグビー部ではキャプテンを務め、関東大会出場・国体選抜候補選手に選ばれるなどの輝かしい実績を残している。
(*5)1994年にイギリス・マンチェスターで行われた世界選手権で同時に開催されたイベント「シュートコンテスト」個人の部で優勝。これは日本人初の栄誉。
(*6)毎週土日、「多摩川の河川敷に朝からコーンを置いて場所取りからやって」フィールドを確保していた。