【日本ラクロスの四半世紀・第31回】 特集・開拓者からのメッセージ(4) 「海外留学」

2012/12/23

日本ラクロス協会創設理念の1つは「スポーツ・ラクロスを通じた国際交流」です。
これの具体的意義として、以下の4点が挙げられます。

「海外のラクロス選手との試合を通じ、国際的な人材交流を深める」
「ラクロスを通じての海外選手とのコミュニケーションを活発化する」
「ラクロスを契機に世界に飛び出し、個々人が人間的な視野を広げる」
「国際感覚のあるラクロス選手が、多様な分野で社会人としても活躍する」

『開拓者からのメッセージ』第四弾は、この国際交流のシンボルともいえる海外大学への留学を経験し、様々な知見・交流を深め、ラクロスに留まらない様々な場面で活躍を続けている3名のエッセイです。

ラクロスを通じて海外で交流を深めた直後に語られた彼らの言葉は、掲載から10年を過ぎた今でも、海外留学を検討している人たち、海外での交流をさらに深めようとしている人たち、そして海外を体験したことのない人たちにとって重要なメッセージを含んでいます。
勉強だけでなく、「文化の交流」や「新しい体験」を全力で楽しんできた彼らのメッセージを、ぜひご覧ください。


佐々木 裕介
「NYウォール街の仲間」
 1986年・慶應義塾大学にて、友人とともに日本でラクロスを始める
 1988年・日本学生ラクロス連盟・初代委員長を務める
 1989年・ジョンズ・ホプキンス大学に留学(ラクロス部主務、NCAA一部準優勝)
 1991年・日本ラクロス協会国際局(現・国際部)・初代局長を務める
 2004年~・日本ラクロス協会理事
鈴村 芳朗
「ジョンズ・ホプキンス大学通信」
 1996年・第3回ILF男子19歳以下世界大会(東京大会)に出場
 1998年・慶應義塾大学にて、第9回全日本選手権大会で優勝
 1999年・ジョンズ・ホプキンス大学に1年間留学
 2002年・第9回ILF男子世界大会に出場、BlueDivision昇格を果たす
 2003年・DESAFIOにて、第14回全日本選手権大会で優勝
内山 典子
「北京留学日記」
 1992年・淑徳大学女子ラクロス部に入部
 1997年・日本ラクロス協会普及部部長
 1999年・日本ラクロス協会強化部
 2000年・北京体育大学に留学
 2012年・女子香港代表ヘッドコーチ

 NYウォール街の仲間  (佐々木 裕介)
「今日は、橋本辞任の噂で株は高騰したけど債券が売られてひどい目にあったよ。ただ、当面、日本の景気は悪そうだぜ」ホットラインで、NYの大手証券会社メリルリンチのファンドマネージャーのスティーブミッチェル(1988年ジョンズ・ホプキンス大卒・全米代表)に愚痴をこぼすと、「米国株の調整は一段落だね。今週うちのエコノミストがナスダック(米国新興市場株式)の目標レンジを引き上げたので、日本株も底堅い展開になると思うよ」と、なだめるようにウォール街の最新の情報を教えてくれる。
「来年、日本の金融ビックバンで、株式手数料や関税が引き下げられた後は、ますます日米の金融市場は連動して、ハイテク株式の時代がくるだろうし、日本の金融界にもベンチャーの時代がくるよ。現に年俸制が導入されたりしている」と語ると、「いずれ独立してNYで証券会社を設立するから、君も共同経営でアジア株担当になってくれよ。日本の市場はこれから魅力的だ」となかば本気の冗談が返ってくる。

NYは午前9時。東京のディーリングルームの時計は午後11時を回ったところ。
「そうそう、今年のホプキンスは強いみたいだぜ。秋の練習試合で、プリンストンとシラキュースに勝ったらしい。ペトラマラ(1991年ジョンズホプキンス大卒・全米代表)はヘッドコーチになるみたいだね」とスティーブ。「ホプキンスも10年近くNCAAで優勝を逃しているから今年こそはだな。皆によろしくと言っといて。又、来月NYに出張するかもしれないから、クラブチームの連中と飲みに行こう」

現・協会事務局長の早川君らと1988年に日本学生ラクロス連盟を創立して、翌年、米国ジョンズ・ホプキンス大学経済学部と体育会ラクロス部に1年間留学してから、もう8年の月日が流れた。ロングミディーで3度全米代表に選ばれたスティーブとは、学生時代はラクロスのチームメイトで一緒に飲み歩いていたのだが、卒業後は、情報交換を頻繁に行う金融ビジネスの貴重なパートナーになった。ラクロスを通して、英語、米国の開拓の文化、ボランティア精神、スポーツマンシップ、多くの友人を得たことは、今、銀行でグローバルにビジネスに携わる上で、又、将来事業を興す上で、役に立っているのだと思う。

そういえば、1986年に日本にラクロスを広めようと尽力した創業ビジネスマン達-ジョーンズ氏(当時ジョンズ・ホプキンス大副総長)、二階堂氏(当時米国弁護士)、エンドー氏(元グラマン役員)、故延氏(元貿易メーカー社長)、木村氏(現ラクロス協会理事長)、故森賀氏(元外務省)-は、「日本が国際社会で理解されていない。日本人は世界に真の友人がいない。学生によるラクロスを通じた国際的な友情こそが、日本と世界の商慣行・文化のギャップを将来的に渡って解消していく」と信じたボランティア達であった。学生時代は、難しくてその意味が分からなかったが、今になって、ようやく彼らの気持ちが良く分かるようになった気がする。
今後、より国際化が進む中で、社会に出る前の学生が、ラクロスや他のスポーツ、文化活動を通じて深めたボーダレスな友情の数を更に増やしていくことが日本のラクロスの創業理念であることを信じてやまない。

(『エニワンリレーエッセイ;1997年12月』より)

佐々木裕介さん
(国際親善試合/筆者:左端)
近況 1991年 日本興業銀行入行 (金融商品開発部、シカゴ支店、総合資金部、等)
2002年 みずほコーポレート銀行 (人事部、アセットマネジメント業務管理部、等)
2011年 みずほグローバルオルタナティブインベストメンツ株式会社 取締役最高執行責任者

 ジョンズ・ホプキンス大学通信 ~留学を考えている方々へ~  (鈴村 芳朗)
ここアメリカに来て、約半年が経つ。

このプログラムは1年間アメリカの大学に在籍し、普通の学生と同じように授業をうけ、またそこのラクロス部にも加わりシーズンを体験することを目的とし たものである。自分は、U19日本代表や日本代表での遠征でオーストラリアに何度か行き、その時に初めて海外の文化、海外のラクロスというものを体験した。自分はそれらの体験により日本以外 の国というものを初めて知り、非常に刺激を受け、今度はアメリカの文化、ラクロスを体験してみたいと思うようになった。それが、自分がこのプログラムに申 し込んだきっかけである。
この留学プログラムに申し込んでから約半年のプロセスを経て、入学を許可され、現在ジョンズ・ホプキンス大学に通っている。まず、自分の今までのホプキ ンスでの大学生活について、次にその生活を通して感じたこと、そして最後にアメリカに留学したいと考えている人へのメッセージを書きたいと思う。

まずは、ここでの生活について書きたいと思う。はじめに授業について。ここホプキンスでは、ほとんどのクラスが半期制であり1限50分週3回ある。通常の生徒は半期に4クラス、多い人で7クラスほど 取っている。自分は、アメリカに来るのはこれが初めてだったことで英語の慣れの問題もあったので、前期には自分の専攻である経済と会計学の2クラスのみを 選択した。やはり予想通り、初めの頃は教授の言っていることや生徒の質問していることなどが聞き取れず苦戦したが、予習・復習を毎回したことやヒヤリング が徐々に上達したこともあり、最終的には両方ともA評価をとることができた。ちなみに、評価の対象は主に中間テストと期末テストであり、それプラス数回のレポートや小テストといった感じであり、授業ごとで多少異なる。

次にラクロスについて。自分はプレーすることを志願してホプキンスに来たが、選考の段階で「ホプキンスはDivision1に所属するため に、この学校で学位を取得することを目的に在籍する生徒以外のプレーを禁ずる」という事を告げられ、試合はもちろんの事、練習への参加も出来ないという 結論を下されてしまった。そしてショックから立ち直り、現在はチームにマネージャーとして参加し、練習中は練習を助けながら色々とプレーを教えてもら い、練習以外のときには彼らと一緒にキャッチボールをしたり1on1をして技を教えてもらっている。

また週末には、1週間のストレスを吹き飛ばすかのごとく、毎週彼らとともにバーに行ったりして飲み回っている。ホプキンスは、大学としてラクロスに力を 入れているために、多くの選手がリクルーティングにより選ばれ、ホプキンスに来ている。かといって、一般の生徒がチームに参加できないわけではない。むし ろ、誰でも参加できる。トライしたい学生は、秋の段階でチームに参加し、コーチたちに毎回の練習でのプレーを判断される。そして、5週間ある秋の練習を通 して、合格を言い渡された学生のみが春のシーズンにも参加できる。今年は9人の1年生が入部して来て、その内6人はリクルーティングによっての選手だった ので自動的に春にもプレーをすることができ、残りの3人のうち2人が春への切符を手に入れた。やはり彼らは、ナショナルレベルだけあって、素晴らしい。必ずしも全員背が高いわけではないが、高校生の頃からしっかりとウェイトトレーニングをしていて、みんなデカい。たまに、彼らと一緒にウェイトをするが、圧倒されっぱなしである。そして、スティックワークについても、彼らはスティックを幼少の頃から触っているので自由自在に操っている。

自分のアメリカでの生活として最後に英語について書きたいと思う。日本にいたときには、TOEFLの点数を上げるために、その問題集をひたすら解いたり、新聞を読むことでボキャブラリーを増やすことに専念していた。現在は、授業により経済の用語をいろいろ吸収し、日常生活や友達との会話の中から、生活するうえで実際必要な英語を身につけ、また時間を見つけては映画などを繰り返し見て、リスニングの向上を図っている。

次に、それらの生活を通して今までの体験における感想を書きたいと思う。

まず、大学の雰囲気について書く。生徒は、1・2年生が学校内または学校の周りにある寮に住み、3・4年はアパートなどを友達同士で学校の近くに借りて住んでいる。そのため、通学時間は無に等しく、授業をスキップする生徒はあまりいないので、クラスはいつも満員である。また、それらの授業の中では、大教室であろうと活発に議論が交わされ、皆その授業中に疑問を解決するために一生懸命であり、そのなかで恥じやためらいといったものは感じられな い。また、大人数のクラスでは、皆がしっかりと疑問を解決できるようにと約20人の生徒に対しに1人ずつTA(ティーチング・アシスタント)がついてい て、オフィス・アワーを使って質疑応答ができるシステムになっている。図書館は夜中の2時まで開いていて、多くの生徒がそのくらいまで図書館の席を埋めて いる。このような雰囲気は日本にいた時には無いものだったので、大学の在り方というものを改めて考えさせられた。また、こちらの大学の一つのシステムとし て、入学時には専攻を決める必要が全くない。はじめの1、2年間にいろいろな科目をとりながら、自分の専攻を決めていくことが出来るというフレキシブルな システムも面白いと思った。

次に、アメリカのラクロスの環境について。ホプキンスは、全米でも5つの指に入る学校であり、本当に素晴らしい環境でラクロスをしている。 チームには、ヘッド、オフェンス、ディフェンス、ゴーリーコーチの4人が専属でついており、選手たちが戦術などを考える必要はまるでない。学校の中にある フィールドは人工芝が敷かれゴールが10数個置かれている(2つ以上使っているのを見たことがないが・・・)。また、そのフィールドの隣には、 Athletic Centerがあり、ステレオ付きのロッカールーム、シャワールーム、大きなウェイトルームがあり、トレーナー・ルームにはプロのトレーナーが勤務してお り、怪我の対処やテーピングなどをしている。自分の日本でのラクロス環境を思い返すとほんとブルーになってくる。このような違いは、両国間のラクロスの歴史の長さの違いであるとともに、大学におけるスポーツに対する扱いの違いでもあると思う。

そして、マイノリティー・人種差別について思うところを書きたいと思う。自分は、出発前には日本人であることで差別をされるのではないかと心配をしていたが、実際来てみると人種差別を感じることは全くといっていいほどなかった。ラクロスのチームの奴等もすんなり自分のことを受け入れてくれた し、学校で友達を作る上でも問題はなかった。ただ、やはり違う文化の中で育って来たもの同士の間では、自分もアメリカ人に対して持っているように、ある程度の偏見というものがどうしても存在するので、友達を作るために、日本にいた時よりも多くのエネルギーを使ってしまう。さらに、自分は英語の問題で会話が流暢に進まないということもあるので、さらにエネルギーを使ってしまう。出発前にある友達に、「マイノリティーという立場を味わうことも日本にいてはでき ないことだから、それもまた良い経験」と言われたが、本当にその通りだと思う。だから、残りの半年で、さらに多くの友達を作り、出来る限りその偏見とい うものをなくしたいと思っている。

最後に、留学をしたいと考えている人へのメッセージを書きたいと思う。留学は、生活上のコミュニケーションをすべて英語でやり、実際に使える 英語を身につけることができるだけでなく、その文化に自分が飛び込むことで、アメリカの文化やアメリカ人について理解することができ、また日本について新 しい見方を身につけることが出来る。長い人生なのだから、1年間ぐらい回り道をしてみるのも、良い経験なのではないでしょうか。

(『.Relaxコンテンツ・海外へ行こう!!;2000年2月11日』より)

鈴村芳朗さん
(タイ国内大会/筆者:左から2番目) 
近況 2010年よりタイに赴任中。
現在はタイ代表の活動に参加しプレーを継続中。
エッセイを
今読んでの
感想
このエッセイに書いているアメリカでの経験が自分のラクロス人生を大きく変えたことを改めて実感しました。
このような貴重な機会をくださったラクロス協会初め関係者の皆様にほんと感謝してます。

 北京留学日記 ~中国生活のご紹介~  (内山 典子)
2000年3月、私は1年間の予定で、中華人民共和国・北京市にある北京体育大学(Beijing University of Physical Education:通称BUPE)に留学。中国へのラクロスの普及及び中国語の習得が私の留学の目的です。というのは、ずっと日本ラクロス協会の普及部に所属 して、日本国内の普及に携わり、ここ3年は中国への普及のため年1回、体育大を訪問しており、中国という国にとても関心をもったからです。

北京体育大学は、中国の国家重点学校(いわゆる国立大学)の1つで、体育専門大学では中国最大の規模を誇る大学です。大学の説明をすると、学部は体育教育学部、運動訓練学部、武術学部、体育生物科学部、体育管理部の5つの学部と大学院があり、この他全国から集められた運動能力の高い子供達が通う付属の体育学校を持っています。中国人学生は約4,000名、留学生は世界各国から現在200名程おり、全員が学校内で寮生活を送っています。中国の学生はほとんどが卒業後、中国各地で体育教師になるか、または各スポーツで国を代表する選手として、または体育関係分野で活躍しています。留学生は、本科生という中国人学生と同様のカリキュラムを受ける学生と、中国語班、武術班(太極拳及び長剣)、気功班、按摩班という単独のカリキュラムを受ける学生にわかれていて、相談次第では他のスポーツの授業に参加することも可能だと思います。現在、私は中国語班に所属し、中国語の授業を受け、その他にラクロスの授業に参加して います。でも、来期からはせっかく中国に来たので、太極拳班に移ろうと考えてます。

私の留学生活も早2ヶ月。私の生活を紹介しましょう。
毎日6時過ぎに起床、6時50分から7時30分までラクロスの朝練、その後8時から11時40分まで中国語の授業を受け、週4回午後4時半から3時間ほどのラクロスの午後練があります。かなり時間があるので、授業の予習・復習の他、中国人の学生に1対1で家庭教師をお願いしたり、学校内のプールで泳いだり、ジムに通ったり、北京市内へ出かけたり、ゆったりと過ごしています。 私は寮では一人部屋で、日本の自宅の自分の部屋より広いところに住んでます。また、基本的に自炊生活をしています。留学生専用の食堂や学校内の他の食堂を利用することも可能です。中国の物価は、とても安いのでそれらを利用しても、やっていけますが、毎日中国料理では、やはり飽きるのでなるべく自炊をしています。

たぶん日本の皆さんは、中国には何も無いと思っていると思います。実際私もここにくるまでそう思っており、出発の際の荷物は大変な重さでした。でも、拍子抜けするぐらいに中国には何でもあります。私は何も無いと覚悟してきたので、ここに来て何でも手に入ることが逆にショックでした。外国製品はもちろんこちらの物価では高いですが、日本製品も手に入ります。ただ、体育大学は北京市の郊外にあるので、学校の周りは少ないですけれど・・・。留学生寮には全自動の洗濯機もある(カード式で1回につき、2、5元程かかり、なんだか最近よく壊れます)し、学校のすぐ傍には自由市場もあり、食材はそこで調達できるし、もちろん学校の中にも売店はあるし、生活は比較的快適です。

それから、中国というとまず自転車が頭に浮かぶと思いますが、私もこちらに来て一番先に手に入れました。現地通貨で170元(日本円にすると約2,000円)で新品が手に入ります。自転車は毎日練習に行くため学校内を移動するときや買い物に行くときに活躍しています。中国は現在ものすごいスピードで発展をとげており、その変貌ぶりには驚かされます。世界経済にとっても中国は注目されており、体育関係でいえば2008年のオリンピック開催地に北京が立候補しているほどです。現在は市内の至る所で、今までの古い建物が壊され、高層ビルが建設されています。ただ日本も同じように発展してきたとは思いますが、古き良き時代のものがどんどん壊されていくことが、私は少し寂しく感じます。

これから1年かけて、自分の眼で、そして一緒にラクロスをしている中国人学生との交流を通して、色々な面で変化していく中国を見ていきたいと思っています。次回は、みなさんに中国ラクロスの現状をお知らせできればと思います。

(『.Relaxコンテンツ・海外へ行こう!!;2000年5月26日』より)

内山典子ん
(アジアパシフィック大会/筆者:中央)
近況 12年前、2000年に1年間の予定であった中国ラクロス留学。それからずっと私の生活基盤は中国だ。1年の留学が1年半になり、その後、香港に渡り、11年が経った。
ラクロスを通して知った中国、そしてあの留学が私の人生を変えたと今でも思う。
そんなラクロスに恩返しの意味も込め、香港でも香港ラクロス協会の練習に参加、リーグ戦も去年から開始した。そして2013年には、香港女子代表チームのHCとして、香港男子に遅れること11年、女子ではアジアの中で日本、韓国に続き、ワールドカップに挑戦する。

■ 『第32回 2012年・全日本選手権、大会5連覇と大学チーム優勝』 へ続く

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